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編みかけのことば——5

「絹の生活」

うとうとと居眠りすることを、

宮城の方言で、ねむかけする、という。

ねむかけには、小ぶりの和布団をかける。

山形での草木染の修業を終えて宮城へ移り住むときに、

Aさんからいただいた、お手製の布団だ。

震災後に、布団屋へ打ち直しを頼むと、

ふわふわになって戻ってきた。

 

修業をしていたあるとき、

染の先生から、Aさんのお宅に届け物をしてほしい、と頼まれた。

渡された箱には、工房での品物を作った際に残った、

ちりめんや羽二重といった絹の端布が入っていて、

Aさんはそれらで、巾着など身のまわりのものを作っているらしかった。

何度か通ううちに、Aさんは夫を亡くしたばかりで一人暮しだと知った。

 

大通りから一本裏に入った小道に面したお宅は、

いつ伺っても片付いていた。

かといって、整頓をきどっているところもなかった。

玄関先には、小柄で物静かなAさんを思わせる、

黒侘助やミヤコワスレなどが生けられてあった。

私とは、親子以上の年の差があったものの、

Aさんは自然に接してくれ、私は次第に親しみを持つようになった。

 

冬には、ストーブで焼いた自家製の干し芋をいただき、

春になると、工房の生垣だったうこぎの若芽を、笊いっぱい一緒に摘んだ。

夏には、冷たい麦茶を何杯も飲んだ。

 

足踏みミシンのある、庭に面したほの明るい廊下で、

制作途中の布を手に取りながらおしゃべりをする時間はとてもたのしかった。

Aさんには、補色を取り入れたり、と、独特の色彩感覚があった。

そのうちに作品は、

小物入れやお茶道具にかける布巾のような小さなものから、

ひざかけ、炬燵がけ、とだんだんと大きくなっていった。

「おかげさまで、絹の生活をしています」

と、Aさんは言った。

 

そのころの私は、これから先にあるだろう希望であふれていた。

早く自分の作品をつくりたい、自分の工房を持ちたいと、

いてもたってもいられなかった。

その思いが現実となったとき、

独立のお祝いに、とAさんは布団を作ってくれた。

木綿のわたが入ったかけ布団の上布には、

何色もの青の濃淡のちりめんがはぎ合わせてあった。

Aさんは、布団を抱えもち、私の軽自動車の荷台に乗せてから、

「あなたのようなお友達がいてよかった」

と、別れ際に言った。

 

そのとき、私はなんとこたえたのだったか。

ひとつひとつできることが増えていく年齢だった私。

ひとつひとつできないことが増えていっただろう年齢のAさん。

あの時は、彼女の心の中を察する余裕はなかった。

色合わせの時間を共有することはできても、

感情の機微というものに思いを合わせることまではできなかった。

 

ねむかけをしていると、思い出すことがある。

仏壇にお線香をあげてから、

Aさんの結婚は恋愛でしたかお見合いでしたか、とたずねた。

少し考えてから、

「どっちでもない」

と、Aさんはこたえた。

 

ねむかけ布団には、

藍がめをちょっと覗いただけ、というごく薄い「瓶覗き」色から、

深い「縹(はなだ)色」まで、いくつかの青が合わせてある。

青にくるまり、摘みたてのうこぎの匂いを手繰り寄せ、夢を見ずに眠る。

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