編みかけのことば——6
「豆を煮ながら」
昨日、1月20日は、二十四節気の大寒だった。
それでも、風がなく陽ざしもあり、
正月のような穏やかな1日だった。
居間から遠目に見えるケヤキの梢も揺れていなかった。
大寒、と聞くと、
ああ、今年も味噌作りの季節がきたなあ、と思う。
材料の確認をするため、
大豆と麹と塩の配分を書き留めたノートを取り出す。
うちの味噌は、麹が豆よりも多く、
仙台味噌や信州味噌などに比べ甘味があるように感じる。
昨年は、どんな分量で作ったのだっけ。
2024 豆(ミヤギシロメ)1kg 麹2kg 塩400g
そうだった、去年は慌ただしくて準備がすっかり遅くなり、
4月に入ってから慌てて仕込み、塩を多めにしてみたのだった。
一年前のことを、すっかり忘れている。
味噌作りは、近所に住んでいたHさんから教わった。
Hさんは、崖に面した空き地を利用し畑を作っていて、
ある時、崖の斜面に、染料となる臭木の木を見つけ、
畑にいた彼に声をかけたことがきっかけで親しくなった。
私と夫の麦さんの間では、Hさんのことを、崖爺、と呼んでいた。
崖爺は料理好きで、
定年後から、奥さんに代わって食事の用意をしているらしく、
バスで乗り合わせると、
市場からの買い物帰り、と膨らんだリュックサックを叩いてみせた。
——胡瓜は、蛇腹に包丁を入れたところへ、
湯気でるくらいごま油熱して、じゃーっとかけるのさ。
と、言われたとおりに胡瓜の中華漬を作ってみると、
嘘みたいにほんとにおいしかった。
毎日眺めている大きなケヤキの木は、
崖爺が、自宅裏の空き地に苗木から植えたものだと知った時は驚いたが、
ケヤキは近づいて見ると二本あり、
いつかハンモックを吊るすつもりで二本植えた、
と聞いたときには、もっと感心して、
なかなかやるじゃん、と心の中で思った。
——味噌、つくってみるか?
と、誘われたのは、いつのことだったか。
自宅で煮て準備した豆を抱えて崖爺の家を訪ねると、
——煮方がちょっと足りないな。
と、親指と人差し指で豆をつぶしながら言ったっけなあ。
震災後だとばかり思い、日誌を見直すと、
2011年の1月25日だった。
崖爺は、その年の前年から前立腺を患っていて、
数年後には施設に入所し、そして会えなくなった。
亡くなったことは、しばらくあとになってから知った。
私は、のんびりかまえていたことを後悔した。
北側に面した清潔な台所。
背の高い棚に並んだ大鍋。
雑誌や新聞の切り抜きを貼った、
手書きのレシピノートはどうなっただろう。
ケヤキの梢の先が、風にそよいでいるのを眺めながら、
そんなことが頭に浮かぶ。
さて。週末には、豆を煮ようか。
気長に煮ながら、崖爺に伝えることがある。
——もっと煮ないとだめさ。
もう十分柔らかいよ。煮汁、入れすぎじゃないの。
——混ぜりゃ、同じさ。
豆、潰れてないのあるよ。
——いいんだよ、食べりゃ同じさ。
あのさ、年末にうちにきた友だちから、お味噌おいしい、って褒められた。
——手前味噌、だな。
そしたら、味噌作り、教えてくれない? って頼まれたんだよ。
あたしも崖婆になれるかね、崖爺。
